全国視聴覚教育連盟

お問い合わせ先

    全国視聴覚教育連盟事務局

    〒105-0001
    東京都港区虎ノ門1-19-5
    虎ノ門1丁目森ビルB1
    (財)日本視聴覚教育協会内

    所在地(地図)

    TEL 03-3591-2186
    FAX 03-3597-0564
    E-mail info■zenshi.jp
    (■を@に変えて下さい)

    就業時間 9:30〜17:30
    就業曜日 月曜日〜金曜日
          (祝祭・日は休み)

視聴覚教育時報 平成22年4月号(通巻660号)index

◆私のことば 生物多様性年に思う/須田 孫七(東京大学総合研究博物館 研究員)

◆キーパーソンに聞く5 「社会教育を中心とした生涯学習におけるメディア利用」江戸川大学名誉教授 市川 昌 氏

◆えすけーぷ

◆私のことば 生物多様性年に思う/須田 孫七(東京大学総合研究博物館 研究員)

 今年の10月、名古屋で約190の国が集まり「生物多様性条約第10回締約国会議/COP10」が開催される。新聞もテレビもCO2排出問題、地球温暖化問題に比べ、この件は何か盛り上がりが少ないような気がする。市民もあまり関心が無いのではなかろうか。例えば一般市民に「生物多様性とは何か」と聞くと「いろいろな生き物がいること」との辞書と同じような答えが多く、では「過去の締約国会議でどんな話し合いがあったか」と聞くと無回答が多い。このような市民意識の中で開かれる国際会議、市民の受け止め方が心配でならない。〈世界中の生き物の多様性を保全しよう〉と「生物多様性条約」が締結されたが、その他、過去の会議で結ばれたのは「ワシントン条約/絶滅のおそれある生物の輸出入禁止」「ラムサール条約/渡り鳥の生息する湿地の生態系を保護」「世界遺産条約/地球の財産となる文化・自然を守る」がある。報道関係者は環境教育として、学校関係者は環境学習としてこれらの条約を普及啓発してほしい。

 地球は、多種多様な生物が支え合ってできている。地球の自然は自然と生物の複雑なつながり、生態系を形成し保たれている。万物の霊長である人間も自然界の一員であって一種類の動物にすぎない。従って多種多様な生物と豊かなかかわり合いつなぎ合いをもって共存共栄の生態系を構築し生活しなければならない。

 現実はどうであろうか。人間のみの豊かさを追及し、開発という大義名分を旗頭として自然破壊を続け、その波は現在も押し寄せることはあっても引くことは少ない。英知のある人間は知的生産によって人間と他の生物群、自然界との対話により共存共栄は可能であろう。

 その具体策として地球環境を守るため世界が力を合わせようと今年の生物多様性国際会議が開かれるが、一般市民は高嶺の花の会議として受け止めてよいのだろうか。今年のCOP10をチャンスとして自分と自然界のかかわり、自分の自然観、自分の行動の見直し、生活圏の見直し等の機会にしてほしいと思い願うのは私だけであろうか。

◆キーパーソンに聞く 5 「社会教育を中心とした生涯学習におけるメディア利用」江戸川大学名誉教授 市川 昌 氏

【インタビューに当たって】
■社会教育の分野でも情報を共有したり、発信したりする道具として、コンピュータやインターネット等が多く活用されている。メディア利用が日常化している中で、社会教育施設等における豊かな情報活用の質を考えた場合、まだ問題が多いと思われる。
■そこで社会教育におけるメディア利用の現状と課題、これからのメディア利用のあり方等について、江戸川大学名誉教授の市川昌先生にお話を伺ってみた。
【編集部】

 

【ヘッドライン】

(1) 社会教育施設での映像メディア利用の低迷要因について

(2) 社会教育施設におけるメディア利用の考え方について

(3) 講座における映像メディア活用の留意点について

(4) メディアを生かした新しい学びの多様化について

(5) 生涯学習におけるメディア活用について

(6) “メディア・リテラシー”について

(7) 生涯学習からみたメディアとの対峙について

(8) 多様化するメディアとの向き合い方について

(9) デジタル化と教育における映像教材について

(松田)公民館など社会教育施設での映像メディアの利用が低迷しているように思うのですが、そこにはどのような要因があると思われますか。

(市川)千葉県の生涯学習施設のさわやか千葉県民センターで、社会教育施設の学習情報提供のシステム作りに関わり、「学習情報」の重要性を強く感じました。学習機会を増やし、様々な情報がどこにあるかを知ることが大切だと思います。

 しかし問題は、学習者自身がどういう情報を求めているのか明確に認識していないことにあります。「何か学習したい」「自分の趣味をもっと深めたい」というあいまいなニーズは持っていても、例えば「考古学の知識を深めるために遺跡に行きたい」「郷土博物館で古文書を読みたい。だから学習情報を知りたい」と具体化されるまでには越えるべき壁があるように思います。学習相談の基本は、何を知りたいのか。何がおもしろいのか共に考えることから始まります。学習に必要なのは、まずそれぞれの興味関心を喚起して「やる気を起こさせる」つまり動機づけの支援なのです。

 私が映像に興味を持ったのは、 ”映像“ が学習の動機づけに優れ、〈抽象的な知識〉と〈具体的な行動〉のちょうど中間に位置するものだと考えているからです。映像を見ることで、あいまいだったものがイメージ化、具体化されることが学習過程でとても大事だと思います。

 映像を作る上で一番大切なことは、学習者の漠然とした学習意欲に、はっきりしたイメージを与えることで、それを具体化させ、学習行動を深化していくことだと思います。具体的なフレームを与えていくことによって、学習者自身が「そうか、こういうことがあるのか」と気づき、それを手がかりにして次のステップに移ることができるのだと思います。多様なメディアを操作して検索、受信、発信するために支援活動が生きてきます。

 映像メディアの利用を進めるためには、学習者自身の漠然としたイメージと、実際に見学し、制作し、発表するといった具体的な行動との間にある「自分の思考のフレーム化」、そこに映像資料が切り込んでいく仕組みを、再考すべきではないでしょうか。


(松田)現今の社会教育施設におけるメディア利用の考え方自体に問題はないでしょうか?また、今後はどういった考え方で望むべきでしょうか。

(市川)社会教育施設のメディア関係の講座は、インターネットの使い方や、パソコンソフトを使った年賀状制作等、ノウハウを教えるものが比較的多いように思います。それは確かに大事なことですが、高齢者を含め、メディアに関心が高い層は、第一ステップをほぼ終えて来ているように思います。狭い意味での ”情報格差“ は縮まりつつあるのです。  次のステップは、検索して得た情報によって、どのように自分自身が変わっていくのかを考え、また氾濫する情報の中から、良質な情報を識別し、どの情報が現段階で自分にとって必要であるか、情報自体を主体的に仕分けしていくガイドが大事だと思います。

 ”editing(エディティング)“、つまり情報を選択しコンパクトにまとめながら、メッセージを訴えかける能力を養うことが大切なのだと思います。

 読書に関しては、小・中学校の図書館での指導や、新聞の書評などがありますが、映像の世界はそうではありません。例えば、商業映画の映画批評はあっても教育映画はあまり取り上げられず、テレビ批評も娯楽番組が中心です。一般の方が、良いメディアに触れるための手引きする手段がわかりにくくなっているような気がします。

 戦後の社会教育を考えると文部省選定の優秀映画が映画館で上映され、人々にインパクトを与えていたものです。学校でも講堂映画などで良い映画を見る機会があり、知らず知らずのうちに、今で言う映像メディア・リテラシーが身についたと思います。視聴覚ライブラリー、図書館、公民館などでも、古典的な芸術的な名作などを見せる機会が欲しいのです。エイゼンシュタイン監督は「映画教育の基本は古典をみることにつきる」といっています。

 西欧諸国では、”メディア・リテラシー“ は社会教育分野で1960年後半〜80年代の市民運動としてスタートしました。日本では情報教育がテクノロジーに還元され、すぐに ”情報格差是正“ や機器操作指導の問題に意識が偏よる傾向があるように思います。メディアのオペレーションリテラシーも大事ですが、同時に情報コンテンツの質やメッセージを含むメディア・リテラシーでなければならないと思います。

 また社会教育施設の学級講座を担当する職員は、必ずしも経験者やエキスパートとは限りません。最近は、学級講座に高齢参加者が増えて来ているだけに接点を積極的に考えるべきだと思います。パソコンを含め多様な機器を紹介して利用を促し、例えば高齢者に郷土の暮らしや自然、我が家の歴史写真を持ってきてもらいデータベース化してもよいでしょう。受講者の方々に同じ話をするにしても、具体的なイメージが映像化されてくると大きく違いますから。

 また、学級講座の企画は、学習者の意欲や関心に従い(主題の選択、緊張感は何分維持できるか等)外部講師に経験上サジェスションして、公民館等の職員と講師は一緒にカリキュラムを練っていくべきだと思います。専門家の作りたいカリキュラムと、学習者の気持ちや能力・関心の間には、まだ壁があるような気がします。

(松田)社会教育施設等の学級講座の中で、映像メディアを活用する場合もっとも留意しなければならない事についてお聞かせください。

(市川)マスコミの送り手からのメッセージを学習者は丸呑みせず、批判的に視聴しながら解読すれば、そこから批評精神が生まれ、それを乗り越えた再創造も生まれます。送り手と受け手の相互作用から新しいメディア利用が育ちます。

 例えばテレビドラマの「天地人」や「竜馬伝」という大型時代劇のコンテンツの中には送り手のメッセージが多く作り込まれています。これをもとに視聴者である学習者は、自分の興味関心に従い多様な見方、教材化が可能です。単にストーリーを追うだけではなく、俳優のパーソナリティの差異や、舞台となっている地域の味わいと時代精神、それを支える県民の人たちの心、作品の時代考証や歴史学の研究成果、現代の視点からみた生き方の評価などの課題を同時に内包しています。コンテンツをしっかり読取る方法を学ぶと新しい社会教育の可能性が生まれてくると思います。

 講座で使用する映像(コンテンツ)ですが、社会教育だからといって必ずしも教育教養番組である必要はないと思います。日々の生活の中で触れてきたものや、エンターテイメントの情報から生きる喜びを与えられ、生きる意味を考えさせられることもあります。  また、良い教材を提供するには利用者とのコミュニケーションが絶対に必要です。利用者が豊かな利用をすれば、当然コンテンツの質もどんどんよくなっていく、相互のコミュニケーションというのは絶対に必要ですね。

(松田)生涯学習も多様化し、集団や個人を問わず、メディアを生かした新しい学びのスタイルが増えてきているようですが、このことについてどのようにお考えですか。

(市川)私は昨年のNHK大河ドラマ「天地人」の流行に乗って、公民館の講座として、「天地人」を視聴する方を対象に、ドラマを違う視点から見直す企画をこころみました。例えば、直江兼続を ”情報“ を最も巧妙に使った武将として情報学を考えたり、主として男性向けには ”企業人としての直江兼続“ を、女性向けに ”家庭人としての兼続とお船“ を考えてみる講座を実施しました。また直江兼続に関連する近隣の史跡等の郷土資料と繋げていったところ、話し合いが活性化して、講座をもとに関東、越後、東北に有志の方がドライブ旅行して関連の歴史遺跡の写真、地図などの資料集を作ったりしました。

 私の大学の公開講座で、”映像で日本の戦後社会を考える“ という講義で小津安二郎監督の「東京物語」をもとに、尾道から東京へ成人した子ども、孫を訪ねて失望する老夫婦のストーリーから「高齢社会のあり方」を集団討論しましたが強い反響がありました。

 メディアの情報を踏まえた講座で、新しいディスカッションの方向を求める形の企画は、歴史学の専門家でなければ出来ないわけではありません。むしろ公民館やメディアの専門家が社会教育のリーダーとして、映像の持つメッセージを生かしながら学習を深めることが大切だと思います。学習者の問題意識に結びついた切り口は数多くあります。

 サークルの話し合いの記録をパソコンを使ってまとめ、小冊子を作成し、Webで検索して全国の歴史愛好者グループとネットワークで繋がるなど、その方法も様々なものが考えられます。女性のサークルで、教育テレビの日曜美術館や語学講座、歴史秘話ヒストリアを視聴して、コミュニケーション活動や鑑賞活動に生かしている実例も聞きました。”マスコミをどのように活用するか“ をもう一度考え、時代の流れに合わせて自分たちの持っているメディアとの間を繋げていくと、学習の密度も高まり、学習の質も向上するように思います。

 私の好きな社会学の研究者フィスクとハートレイが『Reading Television』(1978)という本を書いています。つまりテレビを読むということです。ViewingではなくてReadingなのです。テレビのもつメッセージを見っぱなしでなく、情報内容を分析し読解する。テレビを読み解くためには、インターネットや映画、写真、図書やデータベース情報、現地調査による資料収集といったマルチメディアの補強活動が必要なのです。メディアを組み合わせて情報の質を自分なりに高めていくことで、人間としての生き方も高まり、行動範囲や識見の広がりに繋がっていくと思います。


(松田)生涯学習にメディアを活用していく場合、どんなことが求められますか。

(市川)生涯学習とメディア利用を考える場合、重視すべきは高齢化の問題だと思います。将来、高齢化社会がますます進行したときに、高齢者は社会における大きな戦力として、社会の中で何らかの形で貢献していかなければならないと思います。そのためには、新しい情報を積極的に取り入れて、高齢者自身が変わっていくことが必要です。そのために ”情報リテラシー“ が重要な用件になると思うのです。

 ”情報格差“ がよく指摘されますが、「メディアがわからない」と諦めるのではなく、少ないメディアでも十二分に集約して情報を得ることで、新しい社会の中で高齢者が ”生き方のプロ“ として社会貢献していくことが大事だと思います。

 また、社会教育施設がまだ十分に活用されていないことも問題です。施設自体を拡充する必要もありますが、現在の施設をもっと沢山の人に利用してほしいと思います。そのためには、学習情報提供・学習相談といったような事業を見直し、施設が取り組むプログラムを人々に理解してもらう努力をもっと積極的に行うべきだと思います。それから ”ヒューマン リレーション“ の問題も重要です。人間関係というのは、社会教育に限らず、地域社会の中で一番の基盤です。人間関係を十二分に発達させていくために、メールやインターネットのブログ、ツイッターといった新しいコミュニケーション・ツールに高齢者も積極的に参加できるようになればよいと思います。

 我々が今まで十二分に活用してきたアナログの知識をもう一度見直し、デジタル社会に活かすべきだと思います。アナログの歴史はとても長いですから、これを放擲して、デジタルで全く新しいものが生まれるということありません。

 ”デジタル“ と ”アナログ“ 、これはメディアのvehicle(乗り物)ですから、乗り物が変わっても、人間が生きている以上、そこに乗せるべきメッセージは大きくは変わりません。

 アナログ時代に積み重ねてきた人類の遺産である哲学、芸術、文化、ものづくりの技術や演出、メッセージの構成力や、言葉の使い方はとても大事ではないかと思います。

 江戸時代に生きた坂本龍馬は姉の乙女に盛んに手紙を墨で書いています。龍馬の手紙はとても人間的で、短い言葉の中に坂本龍馬らしい新しい時代を見据えた生き方や家族に対する優しさや愛情があふれています。

 それに比べて現代のインターネットやメールの文章は少し人間性に欠けるような気がします。やはり新しくインパクトのあるメッセージを作るためにも、作文能力、国語能力をもっと豊かにしていく必要があると思います。 ”技術“ はみんなで使うことによって文化になり、さらには文化財になっていきます。文化財になっていく以上、著作権や知的財産権、特許権の問題等、人間環境を円滑に進めるための努力、セキュリティの問題を含めて、もう一度、見直すべき時期にあると思っています。

(松田)情報が氾濫する現代、市民にはメディア・リテラシーが必要不可欠だと言われますが、 ”メディア・リテラシー “ について先生のお考えをお聞かせいただきたいのですが。

(市川)”メディア・リテラシー“ の、”リテラシー“ は、読み書きをする力を意味します。つまり識字能力が基本にあるということです。メディアを使って情報を検索し選択して、自分らしく組み立てていく。その中の意味を抜き取って自分のなかに再構成していく力、それがメディア・リテラシーだと思います。

 情報を人間関係の輪のなかでコミュニケーションに活かし、それを自分のものにしていくシステムである、とも言い換えることが出来るでしょう。

 もちろんテクノロジーは大事です。ただそれが社会生活を営み、あるいは人間として生きていく意味を考えることとが繋がっていかなければならないと思います。国際理解、地域作り、家庭生活といった問題と、メディアのノウハウ・ソフトの問題が繋がってこなければならないと思います。

 例えば携帯電話の扱い方にしても、子どもに注意するだけではなく、「携帯をこう使えばこういうことがわかる」という方向で大人が積極的に提言していくことが大事です。大人は ”人生のプロ“ ですから、たとえメディア活用の技術が未熟でも、その未熟な技術を活かしながら ”人生のプロ“ として、子どもにどんどん提言していけばいい。子どもから教わってもいいでしょう。「子どもが携帯の使い方をおじいちゃんに教え、そのかわりにおじいちゃんは情報の活かし方を教えてあげる」といったように。

 また、メディアから発信される情報が誤って受け取られることが非常に多いように思います。メディアから発信された情報が必ずしも真実とは限らないということを知っておかなければなりません。実際の事実とメディアの提示した情報の中には差があるのです。  社会学者のダニエル・J・ブーアスティンは『幻影の時代―マスコミが製造する事実』のなかで ”擬似環境“ とステレオタイプ(一定の見方に固まる)について言及しています。

 メディアが作る情報だけでひとつの世界がわかったような気持ちになってしまう。現実の環境ではない環境、つまり一つの擬似環境の中で満足してしまう。しかしその環境は非常にあやふやなもので、本当の力を持っていない。マスコミがつくる擬似環境の持つ恐ろしさを十分に知っておくべきだと思います。そこで必要となるのが、情報のツールを使って情報を集め、必要な生き方を読み取っていく力、メディア・リテラシーでしょう。ですから私は「生涯学習とはメディア・リテラシーを学ぶことである」と言っても過言ではないと思っています。

(松田)生涯学習という視点から、これからの情報化社会を賢く生き抜くためには、メディアとどのように対峙していけばよいのでしょうか。

(市川) ”システム化“ といった視点からみても、適確かつ効率的に情報にアクセスする手段を学ぶことは、自分の人生の中で有効に情報を得ていくために大切なことです。

 ただ、一本調子に、「こうなればああなる、だからこうだ」では、人生では必ずしもうまくいかない。建前と本音もありますし、なかなか簡単ではありません。

 私は、”わかるためのシステム論“ と同時に、”わからないことがわかっていく喜び“ を知ることがとても大事だと思っています。人生に答えは一つではありません。

 ”視点“ や ”視座“ を持つことの重要性はよく指摘されています。哲学者カントは『純粋理性批判』の中で、一人ひとりの目に差があることを ”視差“ (パララックス)と呼んでいます。目の前にある情報は人によって個性的に違って見えている、というのです。そのことも一つの事実として受けとめ、多様な見方を認め、矛盾の中で真実を考えた方がよいのです。 ”わかる“ ということは、全てが ”わかる“ わけではなく、 ”わからない“ ということも ”わかる“ ということなのです。少し逆説的になりますが、「真実は多様な見方を総合する努力」のなかにあるのです。

 Webで検索していると、次々に情報が出てきてわかったつもりになってしまいますが、これが逆にマイナスになることがあります。むしろ ”わからない“ ことをはっきりさせるために、 ”わかる“ ことが必要だ、ということがあってもいいと思うようになりました。

(松田)それでは、学習者としての市民は、多様化するメディアとどう向きあって行けばよいのでしょうか。

(市川)最近では ”多チャンネル“ という表現をよく耳にします。社会教育の分野においては、 ”多チャンネル“ は個々人が最も使いやすい、その人らしいメディアを軸として、メディア全体を再編していく、 ”メディアの再統合“ に有効なものだと思います。

 以前、水越敏行先生が ”メディア・ミックス“ 論の中で、メインとなる ”基幹メディア“ と、それをフォローする ”付随的メディア“ の可能性に言及されていました。

 基幹メディアは、 ”学習者が何を知りたいか“ によって変わってくるものです。それは例えば新聞、図書であったり、映画や放送、インターネットかもしれません。また技術革新で新しいメディアが生まれるかも知れません。

 その基幹メディアをもとに、他の多様なメディアを組み合わせ、その人なりにシステム化をしていく(= ”メディア・ミックス“ )時代になってきていると思います。

 ”ニューメディア“ に価値があって ”オールドメディア“ の価値が低いということではありません。主体的にメディアを活用する。主体は学習者であり「学習者が何を選び、どう活用するか」が大切なのです。また学習者も ”作る人“ です。学習を作っていくのです。


(松田)最後にお伺いしたいのですが、デジタル化の流れの中で、教育においてはどのような映像教材が望ましいと思われますか。

(市川)セグメント化された情報の必要性を否定はしませんが、全般に、教育番組ではややその意識が要求されすぎているような気がします。

 時間が3〜5分と短いセグメント教材には、必要不可欠なもののみが精選された完成度の高い情報が集められています。しかし、人が ”わかる“ ときには、成功に行き着く前に様々な失敗があるものです。不要な部分である失敗の例をみて、かえって真実の理解の助けになることがあります。

 私の師である波多野完治先生は、放送教育の著作の中 ”無駄“ の重要性に言及しています。一見すると無駄と思えることの繰り返し、心理学では ”リダンダンシー“ といいますが、無駄と思える繰り返しのなかで、正しい情報を組み立てる力ということです。

 あまり効率化を求めていても本質に近寄らない場合があるように思います。わかるために努力するという人格的なものが大事だと思いますね。

 映像は「情に訴える部分」が強いように思います。映画の世界では、山田洋次監督の『男はつらいよ』シリーズの主人公、葛飾柴又の寅さんのような、人生の常道から脇道にそれたおじさんの生き様を見ていることで、人を見る目や生きる意味、人生の喜びの探求に繋がっていくと思うのです。ですから私は『男はつらいよ』は、ある意味では教育番組だとさえ思っています。 ”良い先生“ というのは、沢山のことを教えた先生ではなくて、失敗はしても、人柄が良い先生のことをいうのだと思います。私は、デジタル化によって新しいことが数多く生まれるわけではないと思います。アナログでは出来なかったこと(例えば双方向性や優れた解像度、システム化など)が可能になっただけであって、それによって学習内容が一変することはないように思います。「人間にとってメディアとは何か」という問いを大切に、地道な実践と研究の先にデジタル化の成功があるのです。

(松田)長時間にわたり貴重なお話有難うございました。

■インタビューを終えて


 お話の中で、強く心に残ったことは、生涯学習とはメディア・リテラシーを学ぶことであるという言葉であり、社会教育におけるメディア利用のスタンスを指摘して頂いたことでした。(松田)

◆えすけーぷ

◆新年度が始まりました。

 全視連も発足以来の改革を実行に移す段階となり、改革方針に基づいた新たな事業計画を理事会に提出する準備を進めています。全視連は、地域のメディア利用の活性化を支援するのが使命だと思っています。加盟団体及び関係者の方々のご理解が必要ですので宜しくお願い致します。

◆その改革の準備段階として、昭和29年7月創刊以来、56年間にわたって毎月お届けしてきた「視聴覚教育時報」を、今年度から隔月発行を提案します。次回は6月、リニューアルした新視聴覚教育時報としてお届けしたいと考えています。また、これからは、メールマガジンやブログ等ネットメディアを一層充実させ、それぞれを効果的に融合させ、お役に立てるよう、キメ細かな広報活動を行いたいと思います。

メールマガジンバックナンバー

バックナンバーはこちらから

Copyright (C) 2010 National Association of Audio-Visual Techniques in Adult Education , All rights reserved.